キャラ研発信

過去と現在をつなぐ夢の断片(2000.10発表)

老年心理学の視点から

[profile]

◆下仲順子氏◆文京女子大学人間学部教授。関西学院大学大学院(心理学専攻)修了。文学博士。 専門は、老年心理学、臨床心理学、生涯発達心理学。
 高齢期の人格機能、知的機能の加齢研究に従事すると共に高齢者に対するカウンセリング、痴呆性老人に対するグループワーク等の実践も行っている。
 主な著書に『老人の心理が分かる本』 『老年心理学』『老人と人格』、老化の心理学的アプローチ『新老年学』、老年期の発達と臨床援助『発達と臨床援助の心理学』、高齢化社会における新しい老人像『老いることの意味』など。
 日本老年社会科学会理事。

  エルダー世代の価値観〜50代と60代の違い

50代、60代というのは、まだ老人ではないんですね。「後期中年」世代。英語で言うと  late middle。正に中年の真っ盛りの世代に入ります。今の長寿社会では、法律上 65歳以上は老人ですが、65歳以上全てを老人とは、もう言えないぐらいに、60代と 70〜80代の世代の特徴が違ってしまっています。一般的には65〜74歳までを「ヤング・オールド」、75歳以上を「オールド・オールド」と分けているのですが、その「ヤング・オールド」世代もこの調査では僅かしか入っていない。その意味で言うと、ここでの「エルダー」という呼び方は、団塊の世代を中心に、これからの21世紀に高齢になる世代という位置付けですね。

50代と60代を、そんなに簡単には分けられないと思います。一番はっきりしているのは、団塊の世代とは、戦争が終わって日本が落ち着いた頃に生まれたベビーブームの世代、そしてその競争の中で50代になった世代ということ。それ以前の60代世代というのは、戦前に生まれ、敗戦となって日本の社会が混乱し、価値観が大幅に変わった頃に子供になり、青年期を迎えた人で、だから60代の後半は、長男がどうのとか老後になったら一緒に住むなど、まだまだ戦前の家制度、家族制度を背負っているかもしれない。団塊の世代は、高度経済成長期に田舎から都会に出てきて、核家族で世帯を持たれた方が多い。そういう意味では、夫婦単位になっており、2世代3世代というような家制度的な意識というものがあまりない世代かもしれません。団塊の世代の場合、同世代間の競争の中で生きてきているし、家制度という意識が薄いわけだから、自分の老後は自分で決める、という価値観が少しずつ定着しているようです。老後意識は変わってきていますね。老後になっても、できるだけ子供から扶養されない、援助されないで、自分達で頑張るという意識を持っているのが、団塊の世代といえるかもしれませんね。

エルダー世代にとってのキャラクター〜昔の自分がそばに居ることの安心感

この世代にもキャラクターがかなり浸透しているという調査結果については、意外でしたね。それと、「キャラクター商品を持つことにあまり抵抗がない」ということも。やはりシルバー世代とは違うなあ、と感じました。

面白かったのは、お気に入りのキャラクターが、サザエさんとかドラえもん、ミッキーマウスであったこと、特にサザエさんというのは意外でした。50代、60代というのは、あの漫画を、毎日、新聞で見て育った世代ですよね。まだテレビも浸透していなかった頃で、漫画が一番のキャラクターとの接触の機会だったと思います。それと、サザエさんは日本の時代背景があの漫画の中に現れていますよね。昔の自分、分身を表しているようなそんな感じで、非常に親しく感じるのかなあ、と。敷居の低い存在と書いてありましたけれど、それ以上になんか愛情が湧くんじゃないかという気がしました。他人事ではない、というような感じではないでしょうか。サザエさんを見ていると、若い頃、子供の頃、ああ、自分もこういうふうに育ってきたんだ・・・、とかね。自分もサザエさんと同じように、働いてやっとテレビを買って・・・、と。そうしたことが漫画にも出てきていますよね。あれを見ていると、まさに自分史が入っているようで、自分にとっては貴重な存在じゃないかと。自分の人生をある意味では重ねられるキャラクターですね。
ミッキーマウスは戦後、アメリカから入ってきた。あの頃初めて見た、強烈な舶来物だったと思います。あの頃日本は、欧米の文化に追いつこうという時代背景がありますよね。(その時代性と密接に結びつくのは)特に団塊の世代。アメリカから入って来た、自分達の夢というか、これからの人生の目標みたいなものとして彼らはミッキーマウスを認めたのではないかと思います。サザエさんというのは日常生活に即した中での自分に重ね合わせられますが、ミッキーマウス、鉄腕アトムは将来の日本の夢というものも入っていますよね。その辺の違いはある。

いずれにしても、単なるおもちゃとかではなくて、親類ではないけれども自分の分身に近いものがその中にある、というような感じで受け止めていると思います。そういう意味で、なるほど、と思って非常に面白かったですね。そばに若い頃の自分を思い出せるような品物があるというのは、それを見ることによって「安らぐ」ということがあるでしょう。 「癒し」という言葉がよく使われていますが、若い頃の自分を重ね合わせることができるし、そして、ここまで生きてきたんだ、という気持ちに浸れることも、安らぎになるのだろうと思います。

この調査で「癒し派」とネーミングしていますが、ここの世代は、60代前半層、そして無職。今、少し不安定であり、まだまだ働きたい、というのは、まさに定年退職前後の人。この、心理的な面で安定していない状態というのは、この世代が過渡期にあるということ、つまり今までの自分の職業生活、家庭生活が変わって、次の新しい生活に移るという、そういう特徴が出ているのだと思います。これは女性でもそうですね。子供が独立していなくなって、今まで築いてきた家庭が変わっていく、というような過渡期は、この年代の男女が体験するライフイベントです。そういう年代的な要因、時代背景の特色などからキャラクターを見ると、どうしてこんなに意外とキャラクターを楽しんでいるのか、ということが見えてくると思います。サザエさん、ミッキーマウスを見ていると、このキャラクターの出てきた頃に一生懸命働いていたんだというようなことが思い出されて、心が安らぐ。キャラクターを見ると、意識はしないけれども、キャラクターがなんとなく分かってくれているよ、そういうイメージが、親しみ、安心に繋がるのかもしれない、という気がします。

「コミュニケーション派」になると、中心になるのは孫ですよね。キャラクターが孫とのコミュニケーションで役に立つ、と。ただ、今50代の団塊の世代が高齢者になって、今の60代後半と同じような価値とか生活意識を持つかどうかは分からない。キャラクターも、孫との媒介として役に立つでしょうが、それが全てではないというような高齢者になるのではないでしょうか。自分のキャラクターは自分のもの、だけど、こちらのキャラクターは孫との交流で役に立つもの、とかね。そういうふうにいろいろ分けて楽しむという世代ではないかと思います。

年令的なものを見ていると、やはりその人達の生きてきた時代性が出ていますよね。60代以上になると、戦前に生まれて戦争が少しわかっている世代。その世代と、戦後生まれた団塊の世代とでは、世の中に対する考えや価値観が違う。60代後半の、要するに「お国の為に」というのを多少知っている世代は、貧乏もある程度体験しており、簡単にキャラクターが買えなかったと思う。戦後の団塊世代は、同世代の人数はやたら多くて受験勉強など大変だったんですけれども、貧しいという体験はそれ程無くて、確実に日本が豊かになってゆく中で大きくなっている。生まれた時の時代背景というのはやはり、キャラクターに関する感情と、少しは結びついていると思います。

キャラクターによる「癒し」の効果〜世代を超えて共通する安らぎ

前回のレポートで、「(お母さんとの世界から外の世界へ出て行く時の“移行対象”として)子供が柔らかいものを持ったら安心する」というようなコメントがありましたが、この50代、60代でも、ぬいぐるみやタオル、ハンカチなど、やはり柔らかいものが多いという結果が出ている。彼らはもう50代、60代ですから、移行の対象としての柔らかいもの、ぬいぐるみを求める、ということではないのですが、柔らかい物というのは、精神的な安定をもたらす。例えば、高齢者に対するペット療法というものがあります。ペットは大体柔らかい毛皮を持つ犬や猫といったものですが、セラピーとして役に立つんです。高齢者がペットをなでていると血圧が下がることは実証されています。ペットと居ると、非常に心が安らぐ。それに似た効果を、彼らは(柔らかいものを持つことによって)無意識に得ているのではないでしょうか。

こういう柔らかなものがいいというのは、子供であっても高齢者であっても、共通して変わらないということなのだと思います。(今回の調査では)キャラクターに対する抵抗のある人は60代後半の高齢者ですよね、大人が子供の物を集めるなんてはしたないとみる古い価値観をまだ多少残している人達で、それは当然だと思います。しかし、下の年令、あるいは女性では、そうではない意識があって、恥ずかしいことじゃなくなっている。先ほど言ったように、癒しというのは人間にとって共通のものなので、「そういうものが必要なんだ、それがキャラクターなんだ」という意識が芽生えてきたということでしょう。彼らにとっても、キャラクターは生活の中にあって潤うものになっていますよね。自分の生活空間の中にあって、安らぐもの、大事なものというような意味合いで、それ程抵抗が無くなっているのだと思う。

精神的不安の内容は、30代、40代と高齢者とは違います。若い人の内容は、働いている職場や家庭の中での不安定さですが、高齢者の場合は、これから自分は一人で生活していくとか、外での友人が減ってくるとか、社会との接触が少なくなるとか、体が不自由になってくるとかからくる不安定さやイライラ、昔のようにできないことへのやるせなさ、です。ちょっと50代、60代から離れますが、例えば老人ホームの中で、痴呆性老人がお人形を自分の子供と思って抱っこしたり声をかけたりしていると、非常に落ち着いている。痴呆性老人であっても、こういう対象物があると安定する。またベッドの傍に、可愛らしいくまのぬいぐるみなどを置くと安心して寝る、ということがある。

(今後持ちたいキャラクターで)アイボが上位にきていますが、このアイボというのはペットの代替物ですね。ペットは今、日本の住宅事情だと飼えませんよね。そういう意味での代替物として、これからアイボが欲しいというのは私はよくわかります。金属製よりもね、もう少し柔らかいものが被せられたら本当にいいな、と思います。

若者世代のキャラクターとの違い、
〜「自己肯定」のキャラクターと「自分探し」のキャラクター


(この世代は)キャラクターが孫や子供の代わりとは思っていないです。自分のもの、自分の人生の中でのキャラクターという感じで見ています。もちろん、孫との媒介として大事だ、というのはありますけれどね。それはそれであってもいいと思います。しかし、それだけではないということです。「孫とのコミュニケーション」だけでなく、「自分の生活を楽しくしてくれるもの」としてキャラクターをとらえているのは、若い人の持つキャラクターの意識と比べてより健康的ですよね。先ほど言いましたが、サザエさん、ミッキーマウスなどは、やはり自分史と重ね合わせるものがあるからですよね。他人ではないという。そこが違うと思います。自己肯定に近い、自分の人生の中に、これがあったんだ。という感じ。

彼らは、自分の人生を半分以上生きている。人生を終えてはいないけれど、ある程度築いてきた人たちです。その人たちにおけるキャラクターと、若い子が自己表現として、べたべた表現するキャラクターというのは、ちょっと違う。自分自身のバックグラウンドがしっかりあって、そのバックグラウンドと重ね合えるものというのが、彼らにとっては貴重な存在になるということです。かつての自分の人生の中で接してきたキャラクターですよね。その中に、その時の思い出があったとか、その時自分はこうだったというのが出てくるもの、そういうものが多い。若い人は、これから自分の求めるもの、そしてそれが自分にとって非常にプラスになるもの、という目で求めているのではないでしょうか。目立ちたい人は目立つものを求めるとか。そして、彼らはまだまだ自分というものができていないので、すぐキャラクターに飛びつくけれども、すぐに廃れてしまうということを繰り返していくでしょう。

ただ、今の若い人達が、年をとって今の高齢者や50代、60代のようになるかというと、そうではないと思います。今は、キャラクターが次から次へ出てきて、彼らは次々と買っていく。買えるお金もある。しかし、いまの高齢者達はそうではなかった。好きなキャラクターは自分にとって思い出のものプラス貴重だったもの、という意識がありますよね。そういう意味ではこの人達にとってキャラクターは、若い人達よりもいとおしいと感じるかもしれませんね。

キャラクターが果たす役割〜コミュニケーション意識の変化

日本人というのは、おしなべて、コミュニケーションが下手だと思います。特に50代、60代がどうのというわけではなく、コミュニケーションへの努力というのは、そもそも日本では重要視されていない。だから家庭でもコミュニケーションの努力をしているかというと、夫と妻、子供と親、いずれもお互いにしていない。

孫との場合、単なる物的なものを与えることによってコミュニケートするというのは、本当のコミュニケーションではないですよね。それは、手段としてのキャラクターですよね。 女性同士の場合は、地域社会の中での友人が男性よりも多くて、キャラクターを媒介にして友達が増える、共通の話題ができて仲良くなるチャンスは簡単にできる。あるいは娘のキャラクターを見て、私も欲しいわ、と思ったりして娘のキャラクターを自分も楽しむ、息子のキャラクターに自分も入っていく、ということが、すんなりできるんですけど、男性は職業生活の中でのコミュニケーションが中心で、ほとんど職場の中の友人関係、同僚に偏りがちになりますし、定年になったらそのコミュニケーションはすぐ消失します。 その中でキャラクターはあまり介在しない。だから、アイボが欲しいと答えた率が一番多い世代は60代前半、定年退職前後の方ですよね。アイボと自分の関係では、本当の人間関係のコミュニケーションではない。

ただ、男性の意識がここ数年変わりました。20年以上前に、定年後に家庭の中で安定しないし、コミュニケーションもできない、それで奥さんのお尻にばかりついて行っていた男性たちを「濡れ落ち葉」とか「粗大ゴミ」と揶揄したのですが、その反省というか、男性の意識が少しずつ変化してきています。男子厨房に入ろうとか、奥さんと一緒にコミュニケートする努力をしてスーパーに買物に行く人が少しずつ増えてきています。自分が会社を辞めれば同僚との縁が切れる、そうすると今度は地域社会だ、という意識に変わってきている。それまでは職場ばかりで、地域社会での自分の土俵はほとんどない。だから、まず、奥さんとのコミュニケーションから始めるのでしょうか。パートナーシップですね。このあたりが、10年前の男性と比べて変わってきています。

「定年」というライフイベント〜多様な選択肢と選択眼を持った世代

これから21世紀の高齢世代として、団塊の世代が登場してきますが、一昔前の明治・大正世代とは、がらりと変わると思います。団塊の世代が高齢者になる頃には、「子供をあてにする」というのは、ないのではないでしょうか。夫婦単位での行動、夫婦で楽しむ、という動きが出てくる。そのとき、女性がキーになってくるでしょう。それは、女性のほうが新しい生活に目覚めるのが早いからです。女性は、子供が巣立ち始めるころ、大体40代後半くらいから新しい生活に意識を切り替えるようになります。一方、男性は退職する60代くらいに目覚めるので大きな差が出てきます。ただ、最近は、男性でも自分の定年後の長い老後生活を、どう快適に生きるのかという意識が芽生えてきた、あるいは、行動しようとしている。

「人生50年」と言われた頃は、定年になったらすぐ、高齢者だった。今は人生後半期が伸びてきてしまって、「ヤングオールド」も、まだ元気で、若く、自分の人生のいろいろなオプションを選択できる。早くに仕事を辞めてしまって楽しもう、いや、最後まで働きたいとか、様々な事を自分で選べる世代。そして、ひと昔前と違って、最低の経済的な裏付け、つまりお金はある。そして体は元気です。いろいろなことを自分でできる世代なのです。それで、彼らは何をやっているかというと、旅行、あるいは勉強。社会人入学なども増えています。また、若い頃興味はあったが出来なかった趣味にもう一度挑戦する。そして、それにはお金を使う。

彼らは、若い人に準じているのでは決してついてきません。ちゃんと自分というものを持っている世代ですから、嫌いなものは嫌いなんですよ。そして競争社会を生き残ってきているから、はっきりしている。これからの高齢世代に接する場合、このあたりをしっかりと頭に入れておく必要があるでしょうね。

いままでの高齢者に対しては、年寄りはこうあるべきという意識を社会が押し付けてきた風潮があるけれども、高齢者の中には、そうあるべきと、自分をその中に押し込んでいた人もいる。今の50代、60代は、そうではなくて個性がある。だから押し付けられたもの、嫌なものは、いくら良いものであってもしない。そういう世代ですね。様々な考え方とか意見を持ち、自分で自分のオプションを選択する。そのへんのところを尊重して、商品開発をしないとだめなのではないでしょうか。年寄り向けだからいいだろうと思ったら全然売れなかったりね。若い人の場合と同じように真摯に考えて、それぞれの商品を作らないとだめで、人数が多いから大量生産した方がいいとか、安ければいいとか、そんなものではない。むしろ細かく(対応)した方がいいということになるのではないでしょうか?

(高齢者相手のビジネスにおいて)そういう工夫がまだまだ足りない。高齢者に対する意識というものが、日本はまだまだ古い。年寄りは年寄りらしく、などというのは全然だめ。 80代の人でも、70代くらいのお洋服をプレゼントすると喜ばれます。50代、60代をタ ーゲットにする時に、この人達が定年前後の年代だからということをあまり意識する必要はないですね。

一方で、時代背景は大事なので、必ず商品開発の場合、70代、80代、あるいは60代の人達では、それまでの人生が彼らの後ろにありますから、それを抜きにして開発すると、それは非常にずれたものになる。これからは、子供、中年、老人、それぞれにとってのキャラクターがあってもいいのではないでしょうか。お人形と言ったら子供を対象にして作ってしまう。だけど老人だって欲しい。当然、その内容物は違う、求めるものも違う、というふうに考えていいと思います。

これからの20年が一番変わる時


今までの教科書に書いてある高齢者像や高齢者の意識は、明治、大正の層であったけれど、21世紀の高齢者の老年心理学の本の内容は、変わるでしょう。それは当然。人は時代の子。それは高齢者もそうなんです。多分、今までと違った高齢世代が21世紀には出てくると思います。私は「高齢の新人類」と言っているのですが。今は21世紀が始まったばかりだし、団塊の世代も中年花盛りの頃ですから、これから先ですね、本当の高齢社会の時、20年後には高齢者像は変わっているでしょうね。