
キャラ研発信
コラム「キャラ化するニッポン」第8回『コミック原作ドラマ…キャラ的身体の優位へ』
*コミック原作ドラマの激増
近年、コミックやマンガ、アニメ原作のテレビドラマや映画が目白押しだ。
テレビでは、最近だけでも「ごくせん」「花より男子」「ドラゴン桜」「のだめカンタービレ」「Drコトー診療所」など話題作が並び、2007年4月の番組改編では「セクシーボイスアンドロボ」「ライアーゲーム」「バンビーノ」「喰いタン2」、2007年7月の番組改編でも「ライフ」「花ざかりの君たちへ」「ホタルノヒカリ」「探偵学園Q」などといった作品がラインナップされている。
映画でも、コミック原作ものが近年ヒットを連発している。
「ALWAYS〜3丁目の夕日」「NANA」「海猿」「タッチ」「デスノート」「ハチミツとクローバー」「どろろ」「さくらん」そして「ゲゲゲの鬼太郎」「蟲師」など、あげればきりがない。
こういったコミック原作の実写ドラマ化は、もちろん制作サイドからの現実的なニーズから増加してきていることは言うまでもない。
長期的なテレビ離れの中で、かつてのオリジナルドラマ路線では活路を見出せない制作サイドにとって、人気コミックやアニメの圧倒的知名度と世代を超えたファン層の厚さは魅力的だ。それだけで、とりあえず一定の視聴率は見込めるというわけだ。実際、これらのコミック・アニメ原作ドラマの多くは視聴率的にも健闘している。
しかし、このコミック・アニメ原作ドラマの成功は、知名度や既存のファン層の存在だけが要因ではないとぼくは考えている。
ここにも、「自然主義的リアル」よりも「キャラ的リアル」に親近感を覚える日本人たちの特性を見出すことができるのだ。
*続いてきた実写優位の牧歌的カルチャー
実は、これだけアニメやコミックが人気を博している現在においても、映画やテレビの世界では、依然として実写優位のカルチャーが強い。それが証拠に、たとえばアニメ世代が30~40代という大人になった現在においても、テレビのゴールデンタイムは実写ものがほとんどを占めているのだ。
映画も同様だ。
宮崎駿の活躍でアニメへの社会的評価は飛躍的に高まったが、依然として、アニメは子どもやファミリー向けのものという認識は変わっていない。こういった映像現場での実写優位のヒエラルキー意識は、実社会での「自然主義的リアル」優位のヒエラルキーをストレートに反映したものなのは言うまでもない。
文芸評論はともかく、社会一般でのアニメの評価は依然として、複雑で高度な現実社会=「自然主義的リアル」を子どもでもわかるように平易に簡素化(キャラ化)した下位のジャンルといったものが普通である。
しかし、今見て来たように、実社会では、「自然主義的リアル」と「キャラ的リアル」の間に逆転現象やゆらぎ、倒錯が広がりつつある。その延長線上でコミック原作の実写化という流れを捉えることもできるのだ。
*「自然主義的身体」に対する「キャラ的身体」の優位
ここで注意してほしいのは、コミック原作の実写ドラマは、かつてのような小説を原作にし、視覚化によってリアリティを高めるという意味での実写化とは本質的に違う意味合いを持っているということだ。
つまり、これらは、まさにコミックやアニメでしか描きだすことができない複雑で高度な現実社会=「キャラ的リアル」を、実写という牧歌的、かつ古典的な自然主義手法を使って平易に簡素化する作業なのだ。この表現がわかりにくければ、キャラ的リアルな現実を実写によって「アニメ化=キャラ化」すると言ったほうがわかりやすいかもしれない。
たとえば実写版「キューティハニー」では、もともとオリジナルアニメで時にエロく、時にカッコよく、軽快に犯罪結社バンサークローを蹴散らす如月ハニーを、サトエリが極めて不恰好かつ、重たく演じているのである。
ここにあるのは、間違いなく「自然主義的身体」に対する「キャラ的身体」の優位である。
いかに「キャラ的身体」と見紛うばかりの特異な身体性を持つサトエリにしても、キャラそのもののリアルな身体性を持つ「如月ハニー本人」には勝ちようがない。いつのまにか、そのヒエラルキーが逆転していたことを、ぼくらはまさに目の当たりにするのである。
しかし、いかに牧歌的であり、不恰好であろうとも、これはオリジナルアニメが作り出した「キャラ的リアル」世界を、自然主義的であるはずの生身の身体が生きるという、極めて革命的な現象であることもまた事実だ。
そこにあるのは、言うまでもなく、生身でありながらキャラである身体なのだから。
ここでぼくらは、「キャラ的リアル」を生きる生身の人間の姿をある種の感慨を持って眺めることになる。それはコスプレやピアッシングなどの擬似的な身体改造でしか近づくことのできなかった「キャラ的身体」が、まさに目の前に広がっているからなのである。
新井素子が、そしてぼくらがあこがれを持って見上げ続けてきた「キャラ的身体」に映像の中とは言え、手が届いた瞬間なのである。
コミック原作のドラマや映画の本質は、実はそこにある。
2007年7月9日 相原博之