キャラ研発信

コラム「キャラ化するニッポン」第2回『エビちゃんがハロー・キティである理由』

「キャラ化」を、たとえば、もっとも単純な意味で2次元的と捉えれば堀江はホリエモンになることで立体から平面化され、それにより情報速度を飛躍的に高めた。
だからこそ、かくも一気に日本中を席巻する存在となりえたのだ。
その意味で、「キャラ化」は情報化社会の必然的な帰結とも言える。
昨今のモデル人気、キャスター人気も、等しく「キャラ化」と通じる。
モデルという存在は、俳優や女優に比べ、はるかに2次元的、平面的で、つまりは「キャラ」なのである。
つまり非演技的で、存在感が希薄、ある種の匿名性さえ持つ彼らが「ノンリアルなリアル」として存在し、大衆の支持を得るという構図が、まさに「キャラ化するニッポン」の現状なのである。
そして、このモデルたちが持つ構図は、日本を代表するノンリアルキャラであるハロー・キティが持つそれと酷似している。
その意味で、「エビちゃん」は「ハロー・キティ」なのだ。
もちろん、もっと表層的、つまりは、八方美人的だとか、直接的な意味で平面的だとか、といった部分でも、やはり「エビちゃん」は「ハロー・キティ」なのだが。
キャラクターは、特権性が極めて低い。
何千億円のマーケットを持つような、世界に冠たるアートでありながらもその作家が誰なのか、一般には全く知られていない。
ファンシーキャラクターの中には、実際に作家そのものが存在しなかったりもする。
芸術的な差別性も弱く、多くは「ただのネコ」だったり、「ただのイヌ」だったりもするのだから誰でも描けるし、誰でも自由に書き換えられもする。
その意味で、キャラクターは極めて匿名的で参加性の高いメディアとも言えるのだ。
キャラクターが匿名的で参加性の高いメディアだとすれば、そこに固有性という意味での「リアル」は存在しない。
キャラクターが「ノンリアル」なのは、そのためだ。
また、キャラクターが匿名的で参加性の高いメディアだということは、極めてインターネット的な時代性と通じており、そこに、「キャラ化」することで圧倒的なスピードで社会を席巻する理由がある。
「キャラ化」は、メディア化でもあるのだ。
2006年11月21日 相原博之