キャラ研発信

コラム「キャラ化するニッポン」第1回『生物学的キャラ化』

日本は今急速な勢いで「キャラ化」している。
ホリエモン
エビちゃん
亀田兄弟
そして斉藤くん。
彼らはみな「キャラ化」されることで、時代の寵児となった。
有名人だけではない。
巷の若者たちもまた自らを「キャラ化」することで、コミュニティ内での優位なポジションを確保すべく躍起になっている。
ホリエモンがもし堀江貴文のままだったら、今のような注目を浴びただろうか。
彼は、堀江からホリエモンへと「キャラ化」することで、一気に情報価値を高め、時代を席巻した。
では、ここで言う「キャラ化」とはどういうことか。
たとえば仮に、堀江を内面的な自己=パーソナリティ、ホリエモンを外面的な自己=キャラクターと位置づけるとする。
かつて、キャラクターはパーソナリティをシンボリックに外在化させたものだった。
しかし、やがてキャラクターはパーソナリティから乖離し、一人歩きを始める。
キャラクターは肥大し、パーソナリティを飲み込む。
社会性という意味では、堀江貴文というパーソナリティはもはやどこにも存在していない。
彼は完全にホリエモンへと極めて生物学的な意味で「脱皮」し、「キャラ化」したのだ。
おもしろいことに、アニメ世代が社会の中心に広がるのと同時に実写とアニメの地位逆転という現象が起こる。
かつては、言うまでもなく、映画にせよ、テレビにせよ実写が高い価値を持ち、アニメはレベルの低い表現手段ということになっていた。
しかし、昨今「キューティ・ハニー」や「エースをねらえ」のようなアニメの実写化という奇妙な現象が立て続けに起こった。
これらは明らかにアニメのパロディ化であって、地位という意味では実写が下になっている。
ここで注意が必要なのだが、これらの動きは通常のアニメを原作にしたドラマ化とは明らかに違うということだ。
アニメでは十分でなかったリアリティを実写によって高めるという旧来の発想ではなくアニメ(むしろ劇画と言ったほうがわかりやすいが)でしかリアルに描けない世界を まさに実写によって「アニメ化・劇画化」する作業なのだ。
このアニメと実写の関係は、きれいにキャラクターとパーソナリティに置き換えられる。
つまり、本来は上位にあるはずの生身の人間、そのアイデンティティとしてのパーソナリティがリアルを喪失し、逆に、本来ノンリアルであるはずの見た目=外見だけの、 つまりは内実を伴わないキャラクターがノンリアルのままリアル化するという現象、これが、まさに、ここで言う「キャラ化」なのである。
エビちゃんや押切もえに代表される昨今のモデル人気も、ノンリアルのリアルという意味で、まさにキャラ化と言えそうだ。
2006年10月5日 相原博之